高松高等裁判所 昭和63年(ネ)112号 判決 1990年6月25日
控訴人 登敏嵩
右訴訟代理人弁護士 登永寛二
被控訴人 神原敬二郎
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
一、 控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文と同旨の判決を求めた。
二、 当事者双方の主張は、次の1ないし4を付加するほか、原判決事実摘示(但し、原判決三丁表一行目及び同所七行目の「登為平」を「登為幸」に、同丁裏八行目の冒頭から同所一〇行目の終わりまでを「抗弁のうち、登淳英(以下「淳英」という。)が被告の妹であること、徳島県那賀群相生町井ノ谷字休場谷八五番一山林三五〇〇平方メートル(以下「係争山林」という。)について、被告から淳英、淳英から原告へと順次所有権移転登記がされていることは認めるが、その余の事実は否認し、右各所有権移転登記手続が無効であるとの主張は争う。」にそれぞれ改める。)のとおりであるから、これを引用する。
1 控訴人の新たな抗弁
(一)(1) 控訴人の妹淳英と被控訴人は、昭和四〇年五月二四日婚姻し、一男二女をもうけたが、被控訴人は家業である呉服商を淳英に任せたままで、趣味に没頭するという生活をしていたものの、まずまずの平穏な夫婦生活を営んでいた。ところが、昭和五二年ころ、被控訴人が控訴人の阿南信用金庫に対する債務(本訴請求の求償金発生の基礎となった主たる債務)の連帯保証人となったことが原因となって、被控訴人はしばしば淳英に対し殴る蹴るの暴行を加えるようになった。淳英は、暴行に耐えかねて、係争山林の登記名義を所有者である控訴人の承諾もなく無断で右連帯保証の求償債務の保証の趣旨で、昭和五七年控訴人から淳英名義(当時は神原淳英)に変更した。ところが、被控訴人は、それでも満足せず、淳英に対し一層ひどい暴行を加えたため、淳英は、昭和六〇年四月一五日、控訴人に無断で係争山林について被控訴人名義に所有権移転登記をした。
しかし、被控訴人は、自らは家業である呉服商にほとんど関与せず、趣味に没頭していたにもかかわらず、右経営が悪化してくると、その原因は淳英が控訴人に対し、営業資金を流用しているためであると勝手に決めつけ、それを理由に暴行を加えて離婚を迫るので淳英はこれ以上の婚姻の継続は困難だと判断して、右要求を受け入れ、昭和六〇年一〇月八日に協議離婚の届出をした。このように、淳英と被控訴人の婚姻関係の破錠の原因は、被控訴人の暴力や全く根拠のない誹謗にあり、右行為によって二〇年にわたる婚姻生活を解消せざるを得なくなった淳英の精神的苦痛は、これを慰謝するための金銭に見積ると、金四〇〇万円は下らない。
(2) 淳英は、昭和六三年八月一六日、控訴人に対し、被控訴人に対する右慰謝料債権四〇〇万円を譲渡し、被控訴人に対して同月一八日被控訴人に到達した内容証明郵便で、右債権譲渡の通知をした。
(3) 控訴人は、被控訴人に対し、昭和六三年九月七日の当審第二回口頭弁論期日において、右慰謝料債権と本訴請求債権とをその対当額において相殺する旨の意思表示をした。
(二)(1) 控訴人は、その所有にかかる係争山林を担保として事業資金の調達を受けようとして上原修にその申し込みをした。ところが、被控訴人は、何らの法的根拠もないのに、係争山林につき登記名義を有し、控訴人からの登記抹消請求(阿南簡易裁判所昭和六三年(ハ)第一〇号事件として係争中)に応じない。そのため、控訴人は、被控訴人の右不法行為により係争山林の現有担保価値に相応した三八〇万円(山林時価七〇〇万円から阿南信用金庫に対する債務三二〇万円を控除した額)の融資を受けることができず、また、これを他に売却してその代金を取得することもできなかったことにより、金三八〇万円の損害を被った。
(2) 控訴人は、被控訴人に対し、昭和六三年九月七日の当審第二回口頭弁論期日において、右損害賠償債権と本訴請求債権とをその対当額において相殺する旨の意思表示をした。
(三)(1) 控訴人は、昭和五九年一二月三〇日、阿部正躬に対し、控訴人所有の係争山林に生育する欅一本を代金六〇万円、引渡期日を昭和六〇年三月末日、手付金を三〇万円とし、控訴人が右期日に引き渡さなかった時は手付金の倍額である六〇万円を阿部に支払う約定で売り渡し、手付金三〇万円を受領した。
(2) その後、右引渡期限は、当事者間の合意により一回延期され、更に、その後控訴人と買主阿部との間で違約金を一二〇万円とする約束で、その引渡期限を昭和六三年四月末日に延期した。
(3) ところが、被控訴人は、係争山林について自己にその所有権があると主張し、その管理をめぐって控訴人と口論するような状態となった。したがって、控訴人が前記売買にかかる欅の伐採を行うことは事実上困難であり、これを強行すれば告訴される虞れがあるので、右期限内の履行は不能となり、控訴人は買主阿部に対し右違約金一二〇万円の債務を負担するに至った。これは、被控訴人が不法に係争山林の登記名義を移転し、根拠のない所有権を主張し、欅の伐採を拒否したことによるものである。したがって、被控訴人は、控訴人に対し、控訴人が買主阿部に負担する違約金債務一二〇万円と同額の一二〇万円を、不法行為に基づく損害金としてこれを賠償する義務がある。
(4) 控訴人は、被控訴人に対し、平成元年七月一一日の当審第八回口頭弁論期日において、右損害賠償債権と本訴請求債権とをその対当額において相殺する旨の意思表示をした。
2 抗弁に対する認否
(一) 抗弁(一)(1) のうち、被控訴人と淳英がかつて夫婦であったが、昭和六〇年一〇月八日に協議離婚したこと、右夫婦間に一男二女があること、被控訴人方の家業が呉服商であること、及び、係争山林について淳英から被控訴人に所有権移転登記がされたことは認めるが、その余の事実は否認する。被控訴人は、淳英を誹謗したり、同人に対して暴行を加えたことはない。同(一)(2) は争う。
控訴人は、当審において初めて、被控訴人と淳英との婚姻に関し、淳英が被控訴人に対して慰謝料債権を有するとし、その債権を譲り受けたとして、本訴債権との相殺の主張をするに至ったものである。しかし、そもそも淳英に慰謝料債権は存在せず、また債権譲渡もなされていないばかりでなく、その債権の金額も全く確定されていないのである。このような債権の存否に関して当審で長々と審理を重ねなければならないことは民訴法上許されるべきことではなく、被控訴人にとっても誠に心外である。控訴人の抗弁(一)の相殺は主張すること自体許されない。
(二) 抗弁(二)(1) のうち、控訴人が被控訴人に対し、係争山林についての被控訴人の所有権移転登記の抹消登記を求める訴えを提起していることは認めるが、その余の事実は否認する。
被控訴人は、控訴人に対し貸金債権のほか控訴人の銀行等に対する債務につき連帯保証をしていた関係上、控訴人の同意の下に係争山林について被控訴人名義に所有権移転登記をしたものである。したがって、右登記は正当な権利に基づき正当な手続を経てされたもので、被控訴人は控訴人に対し右登記抹消の義務を負うものではない。
(三) 抗弁(三)の(1) ないし(3) のうち、係争山林が正当な権利と正当な手続によって被控訴人名義となったことは前記(二)記載のとおりであり、その余の事実はすべて争う。
三 証拠<略>
理由
一 請求原因1ないし4について
右の各事実はすべて当事者間に争いがない。
二 係争山林の所有権返還まで支払を拒絶するとの控訴人の抗弁(原判決事実摘示の抗弁)について
係争山林について控訴人から同人の妹の淳英、淳英から被控訴人へと順次所有権移転登記がされていることは当事者間に争いがない。そして、<証拠略>によると、係争山林についてされた控訴人から淳英に対する所有権移転登記は、控訴人から淳英に対する昭和五七年一月二一日付贈与を原因として同日受付けでされたものであり、また、淳英から被控訴人に対する所有権移転登記は、淳英から被控訴人に対する昭和六〇年四月一五日贈与を原因として同日受付けでされたものであることが認められるけれども、仮に、右登記が控訴人が主張するように無権利者によってされた無効の登記であって抹消されるべきものであるとしても、そのことから当然に控訴人の本件債務の履行と同時履行の関係に立つものとはいえず、他に右登記抹消が、控訴人の本件債務履行拒絶の事由となるべき関係にあることについて何らの主張のない本件では、控訴人の右主張はそれ自体失当として排斥を免れない。
三 控訴人の当審における抗弁(一)について
右抗弁は、要するに、控訴人の妹淳英が被控訴人の有責行為により同人と離婚するのやむなきに至ったことに対する慰謝料債権を控訴人が淳英から譲受け、これを自動債権として被控訴人の控訴人に対する本訴債権と対当額において相殺するというものである。
しかしながら、<証拠略>並びに弁論の全趣旨を総合すると、控訴人は、本件訴訟の第一審において敗訴の判決を受けた(昭和六三年三月一八日)後、慰謝料請求権を行使することを積極的に望んでいなかった淳英に対し、被控訴人から取立ててやるからといって昭和六三年八月一七日、淳英から慰謝料債権の譲渡を受け(取立てを目的とする信託的譲渡である。)たが、訴訟手続等によって右債権を取立てることをせずに、本訴における相殺の抗弁にこれを行使していることが認められる。
ところで一般的には、訴訟上行使する相殺は、相手方との間で直接発生した債権に限らず、他から譲り受けるなどして取得した債権を自動債権としてすることもできるといい得るけれども、本来相殺が認められる根拠は、当事者双方が互に相手方に対して債権、債務を有する場合に、別々に請求したり履行したりすることの不便を省くことにあることもその一つではあるが、相互に債権債務を有する当事者は、互の資力とは無関係にその対当額において債権債務関係を解消できるものと信頼しているのであるから、このような場合には数額の等しいものに等しい効力があるとすることが公平に適するということに相殺制度の基礎が存在するとされている。このような相互間の信頼、公平に基礎を置く相殺制度の目的に照らしてこれをみれば、本件控訴人は、第一審の敗訴に係る判決を控訴審において覆すため、第一審判決言渡後淳英から被控訴人に対する債権を譲り受け、これを相殺に使用するというものであるから、これは、元来信頼し合った当事者でない者の間における対立債権について、債権の実質的な価値を無視してその数額によって効力を定めようとするものであって前述の相殺制度の目的から逸脱するばかりでなく、右債権も取り立てのために信託的に譲渡を受けたものであって本来的には相殺の用に供して消滅させるべきものではないことにも鑑みると、控訴人の右譲り受け債権による相殺は、制度本来の目的から逸脱して訴訟上これを濫用するものといわざるを得ない。
被控訴人の右債権による相殺は許されないとの主張は、理由がある。
よって、控訴人の右相殺の抗弁は、その当否について判断を加えるまでもなく、採用することはできない。
四 同抗弁(二)及び(三)について
<証拠略>並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する<証拠略>は前掲各証拠に対比して措信できない。
1 控訴人は、昭和五二年ころから自転車の部分等の製造業を営むようになり、その事業資金として、同年一一月二二日、阿南信用金庫から五〇〇万円を借り受け、その後徳島相互銀行からも四〇〇万円を借り受けた。
2 被控訴人は、控訴人の依頼を受け、阿南信用金庫及び徳島相互銀行に対し、控訴人の右1の各債務について連帯保証をし、更にその後の取引によって生じた控訴人の債務についても連帯保証をした。
3 ところが、昭和五六年四月一三日、控訴人の祖父登為幸が死亡した後は、控訴人の前記事業の経営は悪化した。
4 そこで、被控訴人は、昭和五七年一月初めころ、当時の被控訴人の妻淳英を介して控訴人に対し、前記金庫及び銀行の承諾を得て被控訴人を連帯保証人からはずすか、又は連帯保証の履行による求償債権の担保として係争山林の所有名義を被控訴人に移転するよう求めた。
5 しかし、控訴人は、被控訴人の右求めに全面的に応ずることを躊躇し、取り敢えず係争山林について被控訴人の妻たる淳英名義に所有権移転登記をした。
6 ところが、その後、被控訴人は、連帯保証した右債務について、銀行等から分割金の支払の請求を受けるようになったので、淳英を介して再び控訴人に対し、連帯保証債務の履行による求償債権の担保として係争山林の所有名義を被控訴人に移転するよう強く要求した。そこで、淳英は、控訴人の承諾のもとに係争山林について淳英から被控訴人に所有権移転登記をした。
7 被控訴人は、昭和六二年七月四日、阿南信用金庫に対し、保証債務の履行として、本訴請求にかかる金三六一万一二六六円を代位弁済した(この事実は、当事者間に争いがない。)。
右の事実によれば、係争山林の被控訴人に対する所有権移転登記は、被控訴人が控訴人の依頼によって同人の債務を連帯保証したことにより、被控訴人が将来控訴人に代って右債務を弁済すべき場合に備えて、予め代位弁済によって取得すべき控訴人に対する求償債権を担保するためにされたものであることが明らかであって、実体上の原因関係を欠く無効な登記とすることはできない。そして、控訴人が右被担保債務を弁済していないことは、控訴人の認めるところである。
そうすると、控訴人が被控訴人に対し、係争山林の所有権移転登記の抹消登記を拒否し、また係争山林の欅の伐採を拒否したとしてもそれは担保物の保持ないしは担保価値保有のための正当な行為であって、これが不法行為ないし債務不履行を構成するいわれはない。したがって、控訴人の前記抗弁(二)及び(三)は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
五 よって、被控訴人の本訴請求はこれを正当として認容すべきであり、これと結論を同じくする原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 安國種彦 裁判官 山口茂一 裁判官 井上郁夫)